偶然と必然、あるいは確率分布と自由意思の関係(2020716():①)
 ジャック・モノーの「偶然と必然」など読んだことはないが、年齢別初婚率の分布の問題で、「つまり、晩婚・晩産化すれば出生力の低下は避けられないが、それは経済格差の拡大やジェンダー間の軋轢が進み、人々が結婚や出生を忌避するようになったからではなく、むしろ長寿化にともない、人々が年齢に関わりなく結婚・出生を自由に決定できるようになってきたからだと思う」
 と書いたら、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「磁石」という短編(砂鉄が集まって、磁石につくべきか否か喧々が諤々の議論をしている間に徐々に磁力に惹かれて、最後には全員一致で磁石に付く決断を下す)を思い出し、確率分布と自由意思の関係を考えた。つまり、結婚における出会いやペア同士の合意が確率分布に従うとしても、その結果、本当に結婚するか、しないかを決めるのは、本人の自由意思による決断ということになる。ただ、この場合、完全な自由意志による決断となると、Yes,Noの生起確率は0.5となり、どちらの決断を下しても確率に従うことになるので、偶然に左右されない全く自由な「自由意志」という思い込みとの間に矛盾が生じる。つまり、ボルヘス的に考えれば、確率分布は確率分布(磁力)であり、「自由意志」は「自由意志」で、前者は客観的事実、後者は主観的事実ということになる。
 さらに「偶然と必然」の関係について考えると、サイコロの目は6通りしかないので、振った時に1の目が出る事前確率は1/6であり、十分な回数繰り返し振って、その結果を平均すれば、事後確率は、ほぼ1/6となる。これはサイコロの目が6通りしかないことによる必然なのだが、サイコロを1回振るごとに1の目が出るか、他の目が出るかは、独立事象なので全くの偶然だといえる。ということは、「偶然」の積み重ねは事後確率的に「必然」的な結果となるが、「必然」は論理的な関係(サイコロの目は6つしかない)に基づく推論なので、論理的な推論(確率は6分の1なので、他の目が出る可能性が高い)は、いつ現実化するかはわからないが、十分な「偶然」の積み重ねがあれば、事後確率的に「必然」になるといえる。


 

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