中国SF劉慈欣Liu Cixinの『円』とシンギュラリティ幻想(202081
 ●劉慈欣Liu Cixinの『円』(The Circle,中原尚哉訳)折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (ハヤカワ文庫SF) (日本語) 文庫 – 2019/10/3 

  この短編は今や世界的注目を集める中国SF『三体』The Three-Body Problemの一部を独立させたもので、紀元前227年の秦の首都「咸陽」で荊軻(けいか)が政王に会う場面から始まる。これは本物の中国歴史で有名な、燕の刺客・荊軻が政王(後の秦の「始皇帝」)の暗殺を図った事件と、年次も同じ秦王政20年(前227年)なので、史実の展開を知っている人にはパラレルワールド的な強い印象を与える物語となっている。
  ちなみにWIKIペディアによれば、実際の展開は次のようなものであった。
「荊軻は秦舞陽を供に連れ、督亢(とくごう)の地図と秦の元将軍で燕に亡命していた樊於期の首を携えて政への謁見に臨んだ。秦舞陽は手にした地図の箱を差し出そうとしたが、恐れおののき政になかなか近づけなかった。荊軻は、「供は天子の威光を前に目を向けられないのです」と言いつつ進み出て、地図と首が入る二つの箱を持ち進み出た。受け取った秦王政が巻物の地図をひもとくと、中に隠していた匕首が最後に現れ、荊軻はそれをひったくり政へ襲いかかった。政は身をかわし逃げ惑ったが、護身用の長剣を抜くのに手間取った。宮殿の官僚たちは武器所持を、近衛兵は許可なく殿上に登ることを秦の「法」によって厳しく禁じられ、大声を出すほかなかった。しかし、従医の夏無且が投げた薬袋が荊軻に当たり、剣を背負うよう叫ぶ臣下の言に政はやっと剣を手にし、荊軻を斬り伏せた。」WIKI https://ja.wikipedia.org/wiki/始皇帝/暗殺未遂と燕の滅亡)。
  この短編では、荊軻が短刀(毒を塗った)を自分に向け、政王に自分を殺すように促すことで、政王の信頼を得て王の科学顧問となる。そして、数々の発明により王の寵愛を獲得するのだが、ある日、王から不老長寿の謎を解くように言われ、それを契機に政王を、「円」の謎を解くという国家プロジェクトの虜にしてしまう。この「不老長寿」を目指す王の野望は、本来、徐福が東の海の向こうの三神山へ行って不老長寿の霊薬を持ち帰ることになっていたものが、王からの多大な援助にも関わらず、3年経っても戻らないため、そのミッションが科学顧問の荊軻に振られたとされている。
  この徐福の話もWIKIによれば、以下のようになっている(案外、WIKIから取ったのかも知れない)。
 「『史記』巻百十八「淮南衡山列伝」によると、秦の始皇帝に「東方の三神山に長生不老の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、財宝と財産、五穀の種を持って東方に船出したものの三神山には到らず、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり、秦には戻らなかったとの記述がある。」
  ちなみに、この除福伝承は日本各地にも伝わっていて、「七福神の宝船」の原型となっているようでもあり、またマルコ・ポーロの「東方見聞録」やコロンブスの「航海日誌」でも度々言及される『黄金国ジパング』の伝説とも繋がっていると思われる。話は飛躍するが、世界で一二を争う長寿国で経済成長は止まったものの豊かで平和、PCR検査もあまりやらないのにコロナウイルスの感染拡大も緩やかで致死率も低いという、現在の日本のイメージ(よくわかないが何となく幸せそうな国)にも繋がっているのではないか。
  権力者が最後に目指すものが不老不死であり、そのために富と権力、そして科学が動員されるという構図にも普遍性が感じられる。たとえばピラミッドのような巨大な構造物もファラオーの永遠の命(神=不死)を再現するための宇宙的生命維持装置(ミイラはボロボロになってしまっているが、案外、遺伝子さえ残っていれば再生可能であるとすれば、コールドスリープしているだけとも解釈できる)だと考えれば、この石でできた巨大な建造物の構築を通じて科学が進歩したことは間違いない。
  この短編では、荊軻は天体の運行などを引き合いに出し、「円」がすべての謎を解く鍵であり、そのために円周率πの計算を行う必要性を政王に説くのだが、この理屈付けがなかなか面白い。徐福は詐欺師で妄想に駆られただけで、本当に必要なことは天の声を聞くことである。天の声とは数学と図形であり、天から送られてくる言葉だという。つまり、円周率π=3.14159265359....を、天からの信号として捉え、これを読み取れば、不老不死も夢ではないという理屈だ。実際、数学者ピタゴラスは「宇宙のすべては人間の主観ではなく数の法則に従うのであり、数字と計算によって解明できるという思想を確立した」(WIKI)そうで、二進法と豆が好きという特異は嗜好性の元、秘密の宗教教団を組織したという。案外、ピタゴラスも円周率=神からの暗号と考えていたかも知れない。そういえば、地球外知的生命体探査(SETI: Search for extraterrestrial intelligence)プロジェクト(まだやっている)では電波望遠鏡などで捉えられる宇宙からの信号を世界中のPCを動員し並列処理で解析することで、その存在を確認しようとしている。電波ではなく、数学や図形の形で脳にメッセージが送られていると考えれば、あながち荒唐無稽ともいえないだろう。確かボイジャー計画で人工衛星に搭載されたゴールデンレコード (Voyager Golden Record)にもπに関する記述があったと記憶している(カール・セーガンの本で読んだ?)。
  この短編で荊軻が設計し、政王に実現させたのは「計算陣形」と呼ばれるフォン・ノイマン型の人力コンピュータであり、100平方里(25平方キロメートル)に秦軍300万人を中央処理小陣形、高速処理陣形、後入先出記憶小陣形などに並べ、その周辺に記憶小陣形規則的に配置したものである。三人一組で、白旗と黒旗を持たせて論理回路を作り、通信はこの手旗信号で行い、周辺にめぐらした無人通路を軽騎兵の伝令が走る仕掛けに成っている。想定ではπを10ヶ月で1万桁、3年もあれば10万桁まで計算できることになっていた。
  実は、昔、担当していた情報システム論の授業で、フォン・ノイマン型コンピュータの基本原理をゲーム形式で教えることを考えたことがあり、その時、資料を探したら、画家で絵本作家の安野光雅という人が『石頭コンピューター』(日本評論社 (2004/10))という本を出していて買ってみたがイマイチよくわからなかった。また、当時、どこかのコンピュータメーカーが体育館で子どもに旗を持たせて、コンピュータの計算原理を真似るマスゲームをやったという話も耳にした。フォン・ノイマン型のコンピュータの原型はアラン・チューリングのチューリングマシーンなので、長い紙と鉛筆があれば基本原理は示せるはずだし、計算機自体も(フォン・ノイマン型に限らず)様々な媒体で実現しうるので、軍隊を動員した人力コンピュータも原理的には十分可能だと思う。★チューリングマシーンの原理以外でも可能なのではないか?
  もっとも軍事的には1師団(Division)が1万人前後なので、秦軍300万人=300師団を動員して25平方キロメートルに配置するとなると、人口密度は12万人/Km2、1000m☓1000mの枠の中に12師団(1人当たり8.33m2)となれば、そのような隊形を一定時間保つことは物理的には可能だろうが組織としては困難だろう。昔の日本の自衛隊の防衛計画のスローガンに38万人体制という言葉があった(多分、陸海空事務方も含めての目標値)ので、その10倍強というのは秦の軍隊としては規模的に小さいが、現代中国の兵員数(推定):269万3000人だそうだから、300万人という数字は、案外、現代中国をモデルにしたのかも知れない。
  だいたい、どの時代のどこの軍隊も同じだろうが、兵力を1箇所に集めることはクーデターなどの内乱に繋がる危険性もあり、マトモな支配者は誰もやらないだろうが、そこは伝説の始皇帝なので、この短編の中でも、誤作動が起きると、その兵士の首を刎ねて交代させ、不眠不休で1ヶ月間稼働し続け2千桁まで計算したことなっている。この辺の描写は白髪三千丈の中国ほら話の伝統を彷彿とさせるが、結構、日本から中国に伝わった劇画の影響なのではないかという気もする(近年の中国・香港映画はSFXを駆使しているのだが、インド映画同様、ほとんど劇画タッチで笑ってしまうほどリアリティがない)。
  ネタばれになってしまうが、45日目の朝に燕、斉、匈奴の騎馬軍団がやってきて、数日のうちに大国秦の軍隊は一兵残らず、皆殺しとなり消滅し、1ヶ月後には首都「咸陽」が制圧され、秦の国は滅亡する。政王は捉えられ処刑される。再びWIKIによれば史実では全く逆である。
  「秦王政19年(前226年)、(政王は)暗殺未遂の翌年に(燕NO)首都薊を落とした。荊軻の血縁をすべて殺害しても怒りは静まらず、ついには町の住民全員も殺害された。その後の戦いも秦軍は圧倒し、遼東に逃れた燕王喜は丹の首級を届けて和睦を願ったが聞き入れられず、5年後には捕らえられた(燕の滅亡)」
  ひょっとして劉慈欣はこのような形で秦が消滅し、今と異なる中国となるようなパレルワールドを夢見ているのではないかと勘ぐりたくなるが、中華帝国の復活をめざしている印象の現代中国にあっては危険思想とされる可能性もあり、ちょっと心配になる。そのうちに焚書坑儒とかで、彼の小説自体が抹殺されるとか?
  それにしてもπの計算は現代のスーパーコンピュータでもベンチマークとして使われている。日本の「富岳」を超えるスーパーコンピュータの開発を中国がやってないとは思えないので、この話はそのまま現代に繋がると思う。ただ無闇矢鱈に高速でπを計算するれば、すべての謎が解明されやがては不老長寿も実現するという愚かな競争は、結局、国も人類も滅ぼすのではという不安を感じる。カーツ・ワイルのシンギュラリティ幻想も同じなのではないか?

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