カリキュラムって何だ
●科目登録
  大学のガイダンスで、何が一番、重要かというと、これは科目登録なんだけど、何が一番、わかりにくいかというと、これも科目登録で、こいつには新入生はもとより、教員の方も毎年、往生させられる。というのも、この科目登録というシステムは、大学という機構の根幹に関わるものなので、これを理解してもらうには、大学の卒業単位制度とか、カリキュラムとか、時間割とか、色々なことを説明しなければならないのだけど、これがまあイト不可解で、大学の住民として1,2年も過ごせば、ある程度は、自然にわかるようになるのだけど、それでも一部の学生や先生?!は、いつまで経っても理解できないし、なぜそうなっているのか?という本質的な問題については、大学制度論か何かを専門に研究している学者さんにでも聞いてもらうしかない。だから科目登録というのは、そういう意味で、不思議の国に落ちるための、兎の穴みたいなもんだ。

●卒業単位制度の呪文:一コマ、2時間、90分、原則2単位/トータル124
   日本の大学には基本的には卒業単位制度というのがあって、現在のところ、一般的には、卒業までに124単位を取得しなければならないことになっている。この卒業単位数は、でも、各大学・学部・学科によって微妙に異なるので、ところにより124単位より多いところも、少ないところもあり得る。で「単位って何だ?」と誰でも思う。自慢ではないが、私なんぞは、もう18年も大学の教員をやっているのだけど、この「単位」という言葉から連想するは、いつも投薬の分量ーヴィタンミンC80ミリグラムとか、で、頭の中にこれだけ詰め込めば、キミも大学卒に成れるみたいな感じ。だから長いこと、単位の英語表現はユニットunitだと信じていたのだけど、同僚のネイティブの先生などと話していたら、どうも変な感じで、実はクレジットcreditと表現するようだ(ちなみに日本の大学は明治時代にドイツの大学制度をもとに作られたはずなので、ドイツ語にも、そういう表現がありそうなものだが思い付かない)。これは直訳すれば「信用」みたいなもので、大学の「信用」を124だけ認めますということのようだ。まあ、この「信用」は受講した科目を修了した場合にだけ与えられる訳なので、頭の良くなる?薬としての講義科目の投薬量という解釈も、あながち外れではないのか知れない。
   ただ、ここでややこしいのは、この投薬量があらゆる講義で一定ではないし、原則として、半年で終わる1科目=2単位となっている点だ。だから、卒業必要単位数124単位は科目に換算すると、÷2で62科目ということになる。ところが、ここでさらに厄介なのは、すべての科目が2単位なのではなく、講義科目、実習・実験科目、演習(ゼミ)、卒業研究などによって単位数が異なるというゆゆしき問題がある。なぜ、そういうことになっているのか、これには基本的に2つの要因が絡んでいる。
  大学の授業の長さは、基本的に1時限=90分(これを1コマという)なのだが、これはなぜか2時間と呼ばれていて、だから講義科目は2時間ものともいう。ということは最小時間1時間(実際には45分)に対応するのが1単位という話になる訳で、2時間ものである標準的な講義科目は2単位となり、どうも我慢している時間の長さに単位数は比例しているように思われる。現に演習(ゼミ)などは2コマものなので、180分で4単位となっている。ところが、卒業研究などは90分1コマなのだが、単位は6単位であり、さらに混乱するのは、語学・実習・実験科目は、講義科目と同じ90分1コマなのだが、1単位しか貰えないので、1コマものと呼ばれている。
  何で同じ時間の長さに単位数が比例しないのか?長年、不思議に思っているのだが、どうも単位数は単に授業時間の長さに比例するのではなく、その授業を履修するのに必要とされる自宅学習の時間も考慮して決められているらしい。
  噂によれば、文部科学省の解釈では、講義科目1コマ90分を受講するには、その倍の180分の自宅学習が行われなければならないと想定されているのだそうだ。実体と熟知している現場の教師としては、「ええっ!それはどこの国の大学の話ですか?(講義中の学生の熟睡度からすれば、睡眠時間は180分かも知れない)」とのけぞってしまうのですが、どうもそうらしい。
  これに対して語学・実習・実験科目は、その授業時間中に学ぶだけなので自宅学習は想定されていないのだという、だから1単位。まあ体育実習はそうかも知れないけど、語学などは、それこそ授業を受けるだけではものにならないし、工学部の実験実習だって、準備とかレポート書きだととか、結果が出ない場合の延長居残りなど、むしろ講義科目より学生はよく勉強するし、せざる得ないのだが(だいたい、語学・実習・実験科目とも講義科目のように熟睡状態では履修できないから覚醒度からすれば2単位でしょ?)。
  講義時間とか自宅学習との関係でいうと、さらにわからないのは卒業研究で、これなど指導時間は、一応、週1コマ90分程度かも知れないが、こればかりは学生がかなり頑張らないとモノにならないので、学生が自主的に学ぶ時間は6単位どころではないだろうし、〆切前など連日徹夜で、指導する方だって大変なんだから、気分的には12単位くらいやりたいところだ。でも、時間的から見ても重要度から見ても中途半端な6単位ということになっている。
  こういう事情なので、毎年、新入生には、卒業単位は「原則一コマ、2時間、90分、原則2単位×124」と呪文のように唱えるのだけど、説明している方も、聞いている方もイマイチ、納得の行かないモドカシさが残ってしまう。
  さらに、最近、ややこしいのは、黒板の前で一方的に講義をするだけの「座学(ざがく、座薬ではない)」では駄目だという、上からの掛け声に応えて、インターンシップとか、フィールドワークといった、学外派遣や実習科目ができて、これなどは従来の基準に合わず、1単位ものから6単位ものまで、時間と学習負荷、重要度などをテキトーに勘案して割当ていて、一段と混乱の度が深まっている。ちなみに、原則一コマ、2時間、90分というのは1週にという前提がつくので、これを集中して消化する場合には、1学期13回分が必要となり、90分×13=1170分程度が消化されなければならない。それだけ時間にコダワルのなら、学生が年間全体として、どれだけくらいの時間数を学習すべきなのか?トータルの時間数などをカウントすべきなんだろうが、不思議な事に、その手の目安はしめされていない(多分、全体の時間を計算すると、辻褄が合わなくなるからだろう)。だいたいトータルで124単位というのが、どういう根拠に立つのかも謎であり、いつかヒマができたら、その種の専門家に聞いてみようとは思うのだが、私も含めて、そういう本質的な問題に立ち入る教員はまずいない(不安になるから)。
 ただ、私の場合、ドイツの大学で学位を取った関係で、どうも日本の大学は科目数が多過ぎるのではないか?いっそのこと、講義だろうが、語学・実験・実習だろうが、ゼミ、卒研だろうが、すべて1コマ-90分ー4単位に統一してしまえば、30科目くらいで卒業できるし、時間割も組み易いし、もっとジックリ学べて良いのではと思う。ドイツの場合、1週間にせいぜい6科目くらい(ゼミ4つと講義2つ)だったし、まあ、そもそも卒業には取得した科目数には関係なく、国家試験か論文審査・口頭試問をパスするかないので、実にわかり易かった(というより、日本の大学のような複雑なルールには国民性からして耐えられない!)。

●カリキュラムあるいは履修課程
  この単位の問題は考えると頭が痒くなるので、とりあえず、「原則一コマ、2時間、90分、原則2単位/トータル124」と呪文だけ覚えておけば良いのだが、だったら、どんな科目でも良いから、とにかく、合計で124単位分取れば、卒業できるのかといえば、そうは問屋が降ろさない。
 ここので登場するのがカリキュラム(curriculum履修課程)という奴で、うちの学生などは、このラテン語風の英語自体について行けない(何なく恐ろしいそうな言葉だしなあ)。まあ高校だって選択の余地があまりないので意識してないけど、卒業までに1年生ではこの科目とこの科目とか決まっているでしょ、あれの複雑な奴だと思えばいい。
  まず、大学の科目には、その選択の仕方により、必修科目、選択必修科目、選択科目、自由履修科目というような種類がある。必修科目は泣いても笑っても、とにかく、この科目だけは履修しないと絶対に卒業できない科目のことで、まあ選択の余地なし(ヒラタクいえば、諦めてじっとガマン科目)。選択必修科目は、複数の科目からなる科目群の中からいくつか選択して取らねばならない科目(究極の選択科目)、これに対して沢山の中から適当に選んで取るのが選択科目、卒業に必要な124単位には含まれないけど、教職や学芸員などの資格取得に関係するのが自由履修科目(取りたければ取れば科目)というラインナップだ。ちなみに4年生まで必修科目を大事に取っておくと、就職活動の時に身動きが取れなくなり泣きを見ることになる。
  さらに、大学の科目は、その教育目的や科目の性格によって、大きく総合教育科目と専門科目にわかれる。
  総合教育科目というのは、いわゆる一般教養科目で、その大学の学部・学科にまたがって開講されている科目だ。大学生として恥ずかしくないように、広く教養を身につけてもらうのが目的で、戦後アメリカ大学のリベラル・アーツLiberal Arts(自由人にふさわしい教養)が日本の新制大学に導入され、戦前の旧制高校の教養主義と合体変形したものらしい(というのもドイツの大学には全くないから。そういうのはギムナジウムで済ましているので)。私が日本の大学に在学していた1970年代頃までは、この一般教養科目は基本的に1ー2年次に固まって配置されていて、国立大学などではつい最近まで教養課程として分離していて、実に分かり易かったのだけど(たとえば、2年生までの教養課程を修了してから、はじめて学科に分かれて専門課程が始まるとか)、学生紛争のあった頃から退屈で無意味だという悪評も高く、さらに大学改革の目玉の一つとなったこともあり、昔とはかなり様相が異なって来ている(詳細は別稿で)。それでも中身としては、基本的に英語や第二外国語、情報教育、体育、哲学、文学、自然科学などの科目。
  専門科目というのは、それぞれの学部・学科のみで開講されている科目で、いわゆる専門知識を身につけて、それぞれの分野の学士号を得るための科目だ。たとえば、政治学科なら、政治学原論、政治史、国際関係論、外交史、比較政治制度論、政治英書講読、国際政治学、地方自治といった講義科目や、政治学演習、卒業研究などからなり、これもかっては3,4年次に集中して配置されていたのだけど、教養課程の改革とともに、だんだん、1年生から4年生まで散らばるようになって来ている。というのも、今は就職活動の時期が早くなり3年生の後半ぐらいからバタバタするので、必然的に前倒しするしかないから。それでも、さすがに演習や卒研は3年ー4年で開講というところが多い(だって、ある程度の専門知識が蓄積しないと指導できないからね)。
  で、カリキュラムは、これらの科目を、1年生から4年生までに適当に配置し、ここでは、この分野から何科目選択とか、という形で、履修の順番や条件を決めて体系化したもので、なるほど、そうやって124単位集めると、その分野の専門家らしくなるはずだという印象を与えるように構成されている。だから学生は、そのシナリオに沿って順序良くお勉強して行かなければならないことになっている。まあ、1番ホールから最終ホールまで続くゴルフコースや、あるいは病院での検査・治療コースみたいなものかなあ。でも、かなり複雑だし、途中で難所や怪物が待っていたりすることもあるから、むしろ RPG(ロールプレイングゲーム)ステージ1から最終ステージという流れに近いかも知れないねえ。

●大学の時間割
  で、こういう複雑怪奇なカリキュラムの仕組みを理解しないと科目登録できないか?というと、そんなことはない。というのも、たとえ全体のカリキュラムがどんなにアカデミックで精緻であったとしても、大学の営業時間や教室の数、いわんや教える先生や受講する学生などの関係で、1週間に開講できる科目数は時間的・空間的な制約を受けるからだ。ヒラタクいえば「時間割」の制約という奴で、このお陰で各学部・学科の各学年ごとに、学生が履修できる科目はある程度決まってしまう。特に入学したばかりの1年生の場合は、必修科目などの関係もあり、それほど悩まなくても良い。また順調に3・4年まで来ると、すでに履修済みの科目が増え、卒業に必要な単位はゼミと卒研くらいという感じになるので、これはこれで選択の余地はなく履修登録も簡単になる。例外は1・2年の時に目一杯サボってしまう学生の場合で、この場合は時間割の制約とカリキュラム上の卒業単位数との関係で、非常に複雑かつ列車のダイヤ編成的な操作が必要になる。実は、先に述べたカリキュラムに関する知識は、そういうヒドイ目に合わないために説明するのだけど、3ー4年になっても単位が揃わないダラシのない学生に限って、何も聞いていないか理解していないので「後の祭り」、ゆっくりしていってもらうことになる。
  御山の上大学の時間割は、午前中が1時限目9:10-10:40、2時限目10:50-12:20、お昼休み1時間を挟んで、午後が3時限目1:20-14:50、4時限目15:00-16:30、5時限目16:40-18:10となっている。しかし、この時間帯すべてで授業が開講されているかとうと、高校じゃああるまいし、そんなことはない! 一般的に1時限目と5時限目の授業は珍しい。また土曜日は暗黙の了解として(完全週休2日なので)講義はやらないことになっているので、もしあれば例外と考えて良い。なんでそうなるのかというと、せっかく開講しても学生が嫌がって履修しなければ講義は無駄になるし、先生だって朝イチや帰宅が遅くなる1時限目や5限目はうっとおしい。
  そういう事情で、大学の講義のゴールデンアワーは2時限目から4限目なんだけど、学生にも先生にも一番人気があるのは3限目でここに授業が集中する傾向がある。また曜日的には月・火・木が開講が多く水・金はやや少ない。というのも水・金には先生の方で教授会やら委員会などの雑用が入ることが多いから。
  これはアメリカなどでも同じらしいが、学生が一番居眠りをして授業の効率が悪いのが月曜日の3限目だそうで、実際、お休み明けの昼飯後というのは、学生にとっても先生にとってもツライものがある。
  もっとも近年は高校並に大学の稼働率を上げるべきだという恐ろしい議論もあり、1時限目は無論のこと、5時限目、6限目、土曜日も明ける昼夜開講制を採用する大学も登場しているが、こういうことが可能なのは都会の真ん中にキャンパスがあり、熱心な社会人が沢山、大学に来るといった場合だけで、幸か不幸か、御山の上大学では、お話だけで終わっている。
  高い授業料を払っているのだから、いつでも好きな時間に好きな講義を聴きたいという学生から要求があっても良さそうだが、幸か不幸か御山の上大学では、そういうこともなく平和に推移している。大学の教員としては言い訳になるかも知れないけど、大学の授業というのは生もの(ライブ)なので自動販売機で売るように24時間対応という訳にはいかなし、無理に開講しても学生が集まらなければノリが悪いからね。
  さらにこういう学生・教員のヒューマンファクターの他にも、時間割には教室の制約というものもあり、時間割を編成する先生(御山の上大学では、これは職員ではなく教員のお仕事)は頭が痛い。というのも、大学の教室には、せいぜい10名程度しか入らない小さなゼミ室から500人くらい入る大教室まであり、これに視聴覚設備、コンピュータ、実験機器などとの組み合わせが加わる。狭い教室に学生が溢れれば授業にならないし、逆に巨大な教室に先生・学生合わせてもパラパラではシラケてしまう(御山の上大学では暖房の関係もあり冬は凍える!)。
というような訳で、まあ1年生・2年生あたりでは月・火・木・金の2時限目-4限目くらいを取り、3年生あたりでは週2ー3日、4年生では週1ー2日という感じになるのがフツーです。

●時間割を組む
  で、新入生などにお勧めしている時間割の組み方ですが、まず自分の所属している学部・学科の春学期の1年生のところを見る。ここで他学部・他学科、あるいは秋学期など、アサッテのところを見ると全てがトンチンカンになります(ややこしいのは、大学改革の嵐の結果、学科再編やらカリキュラム改訂を繰り返しており、またセメスター制度(学期制)になってから学年制ではないので、1年生とは書いていないので、自分の入学年次と在籍学期数で判断すること!)。
  次に時間割上で、どうしても出席しなければならない全員必修科目をチェック。さらに選択必修となっている語学などの授業をチェック(語学は科目が同じでもクラスごとに先生と開講日が異なるので注意)。で、これで何曜日の何時間目はどうしても大学にいなければいけないというポイントが決まります。
これが決まれば後はその前後の時間帯を見て、そこに載っている科目(開講されている)の中からお好きなものを選べばよろしい。ただし、長年の経験からいえるのは授業は可能な限り続けて取り、空き時間を作らないことがポイントです。あまり面白そうな授業がないから3限目はなしにして4限目を取ろうなどいうことをすると、2限目終了してお昼ご飯を食べて、そのまま自主休講して、お家に帰ってしまうことになります。また1年生の時は、水曜日はお休みとか自分で勝手に休日を作ってはいけません。高校などと比べて大学はただでさへ授業がスカスカで生活のリズムが取りにくいところなので、そういうことをすると、そのまま週休完全5日制になってしまいます。忘れてはいけないのは、大学の
  先生も出席は取りますが、高校と違って、誰か学生がお休みしていても別に気に止めないし、わざわざお家に電話で連絡したりもしません。来ないのは本人の問題であって学校の責任ではないからです(もっとも御山の上大学は親切な大学なので、学期の途中で学生の出席状況をチェックし、欠席が多いとクラス担任が本人や親に連絡するシステムを取っていますが、でも、そういう細かいチェックが効くのも1年生の時だけです)。
  それから1年生の時に注意しなければならないのは科目を取り過ぎることです。いくら空き時間を作らないようにと言っても、1限目から5限目までびっちり授業を受けるような曜日を設定すると、1時限90分なので5限目にはお尻が痛くなるし、内容的にも高校授業ほど分かり易くもないので、結局、2週目ぐらいから自主休講してしまうことになります。だから基本的には1限目がある日はせいぜい4限目まで、5限目がある日はせいぜい2限目から取るようにしましょう。さらにお勧めとしては開講科目の少ない水曜日や金曜日は3コマ以内に抑えて、のんびりすると良いでしょう。
  まあ心配しなくても、そういう事情に通じた先生が時間割を組んでいる場合には、自然に無理のない時間割に落ち着くようになっています。というより、そういう風に時間割を組まないと、ガラガラの授業や満員寿司詰めの授業が発生して新学期早々パニックになります(そういうことも結構あるなあ!)。
  基本的なテクニックとしては、必修科目や語学を1限目や2限目に配置して、とにかく大学に来させる、3限目は誰でも取るので学生が分散するように選択の余地を増やす。4限目や5限目には遅い時間でも学生が出たくなるような授業(実習系など)を入れるなどがあります。結構、工夫してるんだぞ!

●履修登録
  という訳で、時間割が決まったら履修登録をします。御山の上大学では履修登録は新学期の授業開始から2週間以内となっており、学務課の窓口でマークシート方式の履修登録カードを提出します。
  毎年のことですが、これを忘れる学生がいて大騒ぎとなります(科目を登録しないと成績がつかないからね)。具体的にはクラス担任が呼び出して始末書を書かせ、主任教授とクラス担任で特別処置の書類を作成し散々な目に合いますので要注意です(しかも、授業よっては担当する先生が満員御礼を理由に再登録を拒否する場合もあります)。
  また、これも毎年のことですが、新入生の中には科目登録が終わるまでは、授業に出なくても良いと勘違いする場合もあります。確かに履修登録しないと成績が付かないのなら、授業は正式には始まっていないと解釈するのが自然ですが、大学の授業は1学期13回しかありませんから、登録期間終了を待っていたら2回欠席になってしまうので、授業には、出でておかないと駄目です。また先生によっては、最初の授業から出席していない学生は満員御礼でお断りというケースもあるので要注意です。
  ややこしいのは、履修登録カードを提出すれば、それで履修登録完了なのかというと、そうではない点で、さらに2週間後に履修確認票というのが配布され、学生は登録内容が間違っていないか確認し、もし問題があれば、さらに1週間以内に訂正などの申し立てをしなければなりません。
  というのも、同じ曜日の同じ時間帯の科目を重複したり、先修条件で引っ掛かる科目を登録したり、マークを違う科目(すぐ近くの別の科目)に付けて登録してしまったりする学生がいるからです。またマレにはコンピュータがマークシートを読み間違えたり、登録シート自体にミスがあることもあります。だから、履修登録カードを提出しても、履修確認票チェックするまでは安心してはいけません。
  実は、授業をやる先生の方も大変で、この間、約1ヶ月ぐらいは受講者名簿が確定しません。だから仕方がないので、とりあえず独自に出席簿を作り、さらに途中から入っているくる受講者名簿と照らし合わせて、これを訂正しなければならないのですが、学期中に何度も訂正名簿が来るので面倒になり、まあイイヤ、どうせ成績付ける時には確定するからということになります。
  それで殆ど何の問題もないですが、たまに学期末になって成績を付けようとしたら、自分の出席簿には存在しているのに、成績表の名簿には名前のない学生が出てきて、 ギョギョとなることもあります(年に1回はあるなあ?)。で、学務課で調べてもらったら、違う科目に登録していて授業は僕の方に出ていて、本人は履修登録ミスに気づいていなかったという訳です。登録していない科目には成績は付かないという原則があるので、この場合は打つ手がありません。
  以前、この履修登録制度は時間も掛かるし分かりにくいから履修登録はなしにして、学期末に成績を付ける段階で、履修者名簿(成績簿)を教員から学務課に出す方式にしたらと提案したのですが、その方式だと、学生がすでに受講済みの科目を間違って受講するケースが防げないということで却下されてしまいました。自分が一度取った科目を忘れて、もう一度取るような学生は何をかいわんやだと思うんだけど。大学って変なトコですね。
  ちなみにドイツの大学では学生登録というのはありました(学期の始めに学生局に行き、自分がその学期に学生として在籍している旨を申し出る)が、履修登録という制度はありませんでした。成績は先生が付けて科目ごとに履修成績証明書(カード)を出してくれるだけです。で、就職とか留学、あるいは博士号の試験の申請など、自分がどんな科目を履修し、どのような成績を取ったか証明する必要があれば、そのカードを先方に見せる(並べる)だけです。これは実にシンプルで良いのですが、逆にいえば日本の大学のカリキュラムのように、何を何単位取得しなければならないというルールがない訳で、卒業は最低在籍期間と修士・博士の論文・口頭試問か国家試験で決まる(途中経過より最終的な実力が付かなければ意味ないという考え方)ので、その分、横から出る人(中退)の方が多くなりますが。

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